惰性

昔、とある集まりで、どうして長年この集まりに来ているのかと聞かれて「惰性の中の一瞬の楽しみや喜びに出会うため」と答えた人がいた。その人がただ楽しくて仕方なくてその集まりに来ているものと思っていたから、「惰性」というあまりポジティブではない言葉が出てきたことに驚いて、結構はっきりと言うのねと捉えてたように思う。


改めて文にすると「惰性の中の一瞬の楽しみや喜びに出会う」って気障な言葉に感じるけれど、惰性の中に喜びや楽しみを見つけ出す行為ってもう人生そのものだな、と思ったら急にこの言葉が淡々としながらも熱い意味を持った言葉に思えてきて(言った本人も淡々としながらも熱いものを持った人だった)、ここ数日何回もこの言葉を思い出しては気持ちを前に向けていた。
 
人生は惰性で進んでいくものだと割り切って生きていきたいし、惰性で生きてしまっていてもそんな人生でも肯定されたいし。生きるのは惰性だと割り切ってしまった中でそこから喜びや楽しみを見つけていこうというのは、飛び切り前向きな生き方だと私は思うのでした。根暗なりの前向きな生き方、っていうのがあってもいいよね。とか思ったりしました。
 
(ひとつの言葉から勝手にどんどん解釈を飛躍させて自分に有利な意味を持たせちゃうのよくやってしまうけど、言葉は自分が思いたいように思えばいいし物事は自分が捉えたいように捉えればいい、感じたいように感じて生きていけばいいよ、と思う。考え過ぎない!)

最近特に失敗や間違いをしたくないという思いが強すぎて身動きが取れなくなる。失敗したくないのは人との関わりでもそう。言うべきことを間違えたくないし、距離感を見誤りたくない。常に正しく、良く思われたいし、自分の失敗や間違いは人に知られたくない。でもそうやって自分に見合わない完璧を追い求めるほど辛くなるのは自分であり、自分一人で自分を追い詰めて勝手に辛くなってしまう。

 
全か無か、白か黒か‥‥オールオアナッシングな思考の癖も、とどまるところを知らない承認欲求も、複雑に捻れた過剰な自意識も、年齢を重ねれば自然と無くなっていくものだと期待していたけれどどうやらそうでもない様子で。それは時に絶望的な気分にもさせるけれど、一方でそういう、自分の欠点との折り合いの
付け方も10代の頃よりは少しは上達していると思える時もある。
 
自分の欠点や劣る点をより良くしていこうとするのは生きていく上で大切なことだと思うけれど、そうするにしてもその欠点を持っている自分というのをきちんと受け止めて肯定して消化することの方が先決なのだと気付き始めた。
 
見た目も性格も可愛くないし、優しくもないし、表も裏もあるし、分け隔てなく接するなんて出来ないし、気は利かないし、覚えも要領も悪いし、知識も経験も薄っぺらいし、努力家でもないし、生活力もお金も人脈もセンスも計画性も協調性も行動力も体力も社交性も文才もないけど、クズだけど、でも何とか生きてます私!
 
 

TVドラマ

TV番組をほとんど見ない人間だったけど、録画したものを色んな媒体に飛ばして見られる機器を手に入れてからちょこちょこ観ている。TVの前に一定時間拘束されることが何となく苦痛だったので、これなら良い。

今ダントツで面白いドラマは『その「おこだわり」、私にもくれよ‼︎』。清野とおるさんの漫画が原作(正確には〝題材にした〟)の、モキュメンタリードラマ。何と監督は松江哲明氏。そして録音・山本タカアキ氏ということで密かに前野健太さんの出演があるのではと期待しております。何せご本人が、近いうちに〝面白い〟番組に出ると、ライブでほのめかしてたので…。
このドラマ、出てくる曲といい出演者といいかなり、年齢やや高めのサブカル層を意識していると思う。話題になっていたけど観ていなかった『山田孝之東京都北区赤羽』も観始めた。原作もちゃんと読みたい。

何となく苦手意識のある〝クドカン〟さんの『ゆとりですがなにか』も観ている。1話で思い切り心を掴まれて今後への期待値を上げ過ぎてしまい、2話目にて既に飽きが来たけれど一度観始めたものは一応最後まで観るタイプだから見続けています。柳楽優弥さん、人生二度目の全盛期という感じですね!危うい感じが山田孝之っぽい。

あともうひとつは『重版出来!』。こちらも原作は未読。ここ最近は黒木華さんになりたくて仕方がない。誰でも取って代れそうでいて、誰にも出来ない。今までにいたようでいて、全く新しい。こういうタイプの女優さんって近年稀に見る、といった感じなのでは…。特に、『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観てからこれを観るとより一層それを確信してしまうと思う。何なんだ彼女は。見るたびに「参りました完敗です。」とひれ伏しそうになる。(何の勝負なのか)
ところで、坂口健太郎氏には永遠に静止画界に留まっていて欲しかったと思う女子も少なくないのでは…?なんて勝手に思っているけどどうなのか。
漫画が原作だからか観ていてややシラけてしまう演出もあるけど、乗ろうと思えば乗れる範囲なので、そこは自分次第という感じで。まあでも、黒木華みたいなできた女の子、居ないでしょう…。(笑)

ドラマには、現実逃避を求め一方で現実味を求め。相反する二つのようで、どちらも不思議と満たされてしまうので、ドラマって不思議だと昔からよく思う。

雪やなぎが散ってしまうと、今度は入れ替わるように木香薔薇がもくもくと咲く。愛しい!木香薔薇のくすんだ黄色は、現代風な家には馴染んでいなくて、そこも何だか可愛い。狭い所で縦に伸びて違う植物のようになっていたり、咲き乱れ過ぎて葉が隠れ、スクランブルエッグの様になっているお宅もあった。実に様々な咲き方。

 
「あれもやらなくちゃ、これも忘れちゃいけない」と追われるような日々だけど、そう捉えているのは全て自分。定期的に提出し続けなければいけないものがあったり、一つ終われば次のものが待っていたりするのは自分に限らずどの職種でも同じようなものなのだから、自分の中できちんと気持ちの区切りとめりはりを付けてやらなくてはと思う。
 
同じ仕事をしていても、やるべきことはしっかりやるけど、楽しむ時もしっかり楽しんで、大変な中にもいつも面白いことを見つけ出して楽しむ姿勢でやっている人はとても魅力的だし人も集まる。色んなことがその人を中心に流れる。そこまでにはなれなくても、どうせ生きるなら、できるだけ明るくいきたいところ。(と、根暗なりに日々考えている)
 
とはいえ、4月からまた新しく人が入って、新しい体制での自分の立ち位置やら関わり方なんかがまだ定められずにいたりする。人間関係の悩みは尽きることがない。。
 
 
今のところブログの更新が月一ペースになってきているから、ただの雑記ブログではあるけれどもう少し高い頻度で更新できたらな!と思ったり。

この時期はいろんな所で雪やなぎが溢れるように咲いていて見かけるたびに嬉しい。植物は強いし素直だし寡黙で全てを肯定してくれる。憧れの全部。おばあさんになったら木香バラとか雪やなぎをもくもくと咲かせた庭を作りたいです。

 
音楽をぼやっと聴いていても、「話しかけられない話したいことは山ほど」とか「次会えるのはいつなの 会ったら話したいことたくさんあるの」だとか、そういうフレーズばかり脳が勝手に拾う。カクテルパーティ効果とかいうやつみたい。(違うか)
 
帰り道自転車をこぎながら、遠くに行ってしまった人のことを思い出しておんおん泣いた。最近落ち着いてたけど、年度の変わり目のバタバタで心も弱り気味。やることは山ほどなのに、時間と気力が足りず消化していけない事が一番精神衛生上良くない気がする。それにしてもこの春は環境の変化が大きいし別れも多いなぁ。
 

毎日前野健太さんのことばかり考えてる

早くアルバム出て欲しい
 
ジャズ喫茶のママが言った
「人生って、何だと思う」
僕は考えた
「遊び、ですか?」
ママは言った
「あたし思うの
人生って、〝足掻き〟
70年生きてきて
最近そんなことを思うの」
 
『人生って』
本当に名曲だと思う
 
前に行ったライブのことを書こう書こうと思っていてまだ書けてなかった
 
新年度が不安です

都市の呪文

iPhoneをおトイレにぽっちゃんさせて、早2日。

画面をいつか粉々にしてしまいそう、とは思っていたけど

このような形での水没は全くの想定外でした。

奇跡的に復活したら、記念に復活レポートでも書こう。

 

水没させて気が付いた事なんですが、

iPhone無しでは生きていけない訳ではなくて、

iPhoneを中心に生活を動かしていたからそう錯覚していただけでした。

アラームだって計算だってメモだって電話だってメールだって録音だって

インターネットだって地図だって、どれもiPhoneじゃなくても出来ることばかり。

iPhoneでしか出来ない事って、逆に何だ。

 

常に一緒に居るということはその距離感を程良いものに保つ必要があり、

また一緒に居ない時間をいかに充実させるかということなのだと思った。

人間とおんなしじゃないですか!

 

機械はただそこにあるだけなのに、人間の使い方次第で褒められたり悪者にされたりとかわいそう。人間が使いこなしているのか、機械が人間を弄んでいるのか、もはや分からない域にありますね現代は。

 

iPhoneの無いこの数日間の生活は何だか、生きてる!って感じがした。

まあ、奇跡的に復活したなら喜んで使いますし、しなくても新しく買うつもりです!

 

ややアナログな生活をすると、スカートが聴きたくなりました。


澤部渡(スカート)- 都市の呪文 @ 熊枠サミットvol.2

 

 

 

 

 

好きな色について人に聞くのは一見無意味なように思えて、その人の色々なことが見えてくるよい質問だと思う。(色だけに!色だけに!)好きなタイプとかを尋ねるよりはきっと。

 

好きな色、考えたら、浅葱色だとか山吹色だとかレモンイエローだとか色々に浮かぶけれど(色について考えるとき、脳内が様々な色で塗りつぶされる感覚があり、それが好き)、最終的な答えとしては白ということで最近は落ち着いてる。

 

“白”は、言葉そのもののイメージにすら清潔感や明るさ、清廉さを感じさせるけれども、ひとたび手入れを怠り少しでも汚れてしまうと今度は皮肉なことにたちまち、真逆なものになってしまう。

 

静かにどこにでも在るようでいて、他の色と同じ空間に置かれた瞬間に、爆発的にその存在感を示す。静かな者の静かな主張。

 

無表情で、しかし内面では自意識や承認欲求、嫉妬といったどろりとしたものが激しく渦巻く自分にそっくりである。

 

なんてね〜!!!そんなこと普段から考えてる訳じゃないんですけど。

あとは単純に白い食べ物が好き〜

白玉

ご飯

おもち

うどん

マシュマロ

牛乳

アイスクリーム

チーズ

クリーム

ちくわぶ

 

例外

はんぺん

はんぺんは皆大好きなものなのだと思っていたけど、この前嫌いと表明したら予想外に多くの賛同を得た。若者のはんぺん離れを感じた。

 

 

白にちなんだ曲!

 


平賀さち枝とホームカミングス "白い光の朝に"

 

 

 

 

いろんなことに感傷的になったり飽きたり

 

 

人との別れで初めておんおんと泣いた。


普段、なるだけ感情を出し過ぎずフラットに保つように心掛けているのだけど、その分、一定量以上の感情が生まれてしまうと対処の方法が分からずダムが決壊したかのようになってしまう。ことに、悲しみなどに対しては弱い。

人との別れで感傷を覚えることは今まで生きてきた中で幾度かあったけれども、特定の人に対して、こんなに強く感情が揺れ動いてしまったことは初めてだったと思う。

もちろん別れのその瞬間には涙はほとんど流さなかったけれど、数日経って、それが現実味を帯びて迫ってきた時におんおんと泣いた。

そういえば以前短期のアルバイトをした時、一緒に働いて好きになった人妻さんに、勤務の最終日に「これでもう一生会うことはないんですね」とか反応に困る感傷丸出しの言葉を放ったこともあったなぁ…。とか思い出した。(そうしたら人妻さんは「駅とかで会ったら、また声掛けてよね!」なんて言ってくれた。優しすぎる。)

 

 

サニーデイ・サービス - いろんなことに夢中になったり飽きたり

 

あぁ 好きになった日々は過ぎるよ

 

サニーデイサービスの東京再訪ライブ行きたいな〜。

 

 

ここでの「別れ」は、恋愛関係でも、また「死」でもないということを断っておきます。

 

窓を閉め切っていてもあらゆるすき間から春の匂いが侵入してきて部屋に充満している。
雨も風も強くて台風のよう。
台風クラブ』を初めて観たとき、スクリーンから感じ取った匂いはこんなだった。

3年半ぶりに映画『桐島、部活やめるってよ』を観たら信じられないくらい感動した。本当に3年6ヶ月前に観たものと同じ映画なのか、と疑うレベル。
洋画で「こんな映画が撮れたら悔いなく死ねそう」と思ったのは『マッド・マックス 怒りのデスロード』だったけど、邦画では間違いなくこれ。

桐島、部活やめるってよ (本編BD 特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

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バドミントンをやってる人って何であんなバドミントン顔してるんだろう