ボルダリング8回目

一番好きで落ち着くジムで。

店主さんが、いつも親切丁寧に、気持ちのいい笑顔で接してくれる本当に素敵な方。誰に対しても変わらない態度。その笑顔に引き寄せられて周囲にも笑顔の人がたくさん集まってくる。お店とかこういうジムだとかの、人の集まる場所を作るために生まれてきた人なのだと思う。

何度やってもどうしても出来ない課題があったとき、同じ課題を登って違う方法を一緒に考えてくれたり、同じような距離で少し難易度の低いホールドを探して特訓をしてくれたりして本当に嬉しかった。ありがとうございます。

 

2時間くらいで腕と脚の限界が来てしまうので、今回は早めに120°くらいの壁に挑戦しておいて、後半で脚を中心に使って登れるスラブをやるようにしてみました。

垂直以上の壁はどんどん手に頼るしかなくなってしまうので苦手意識があったけれど一番簡単なところから始めてみれば120°くらいまでなら割とスイスイと登れて、意外とスラブとかよりも好きかも知れないと思った!というかどちらも違った魅力があるって気が付けたのが大きな収穫。

あと課題によって何を意識して登るべきなのかっていうのが当たり前だけど全然違っていて、ただ闇雲に登るんじゃなくて設置した人の意図を考えながら登ると凄く楽しいしやり易いなと思った。

自分より背が高くてリーチも長い人ならそんなに苦労せず出来る課題があとちょっとの所で届かずで、悔しい気持ちになりつつも、そうやってつまづくからこそどうやったら出来るのかって頭を良く使って試行錯誤しながら取り組めて、自然と力がついていって。それって逆に有利だし、チビの最大の強みでありメリットだ!と思えた。趣味のことならポジティブになれる。

 

初めて液体チョークを使ってちょっと感動した!

ボルダリング7回目

始めてから約2ヶ月で7回目、週一ペースには届かないけど飽きっぽい自分にしてはそれなりに良いペースで出来ていると思う。言い訳をすると、シフト制勤務だから毎週何曜日に行く、と決められないところがちょっとな。

 

7回目にして4つ目のジム、色々味見中。ジムによって、難易度的な面での合う合わないはもちろん雰囲気の合う合わないも凄くあるなと思った。初めて行って物凄く丁寧にあれやこれや教えてくれる所もあればその逆も。お客さんの雰囲気も色々。でもだいたいどこのジムでも、登るのに苦労していると周囲の人やお店の人がヒントやアドバイスをくれたりして嬉しい。

大きいジムは開放感があるし広い分、課題・ホールドの数も多いところが良いなと思ったけどその分利用者も多いのでなかなか登れなかったり、自分よりレベルの高いものや同じものに何度も挑戦するというのがやり辛い気がした。

小さなジムは課題の数こそ少ないものの、人も少なめなので一つの課題にじっくり向き合える感じがあった。

コミュニケーションを取るのが下手なのでいずれにしても、一人で行くのはまだちょっと怖いな…。一度勇気を出して行ってみたけども初心者ほど一人では行きづらい気はする。

 

先日はついに5級にも挑戦し始めた!傾斜の壁のコツも何となく掴めてきて自信。この辺りまで来ると次々新しいやり方のコツを発見するというよりは力技って感じになってきて、2時間やるのが限度な感じある。だめですね。終盤で5級をやり始めたので腕がぷるぷるになってしまいゴールは出来なかったのだけどどう行けばいいかは分かったから次に行くのがとても楽しみです。一番家から近いジムは4つの中では一番規模は小さくて、初心者向けの課題が少なめでスラブ壁も無いのが少しさみしいけど、新しい場所なのでとても綺麗。

 

あと欲しい靴を探すのが続けるモチベーションにもなっていて(でもまだ買いません)、また欲しいのを見つけました!

 

 もう一つ、ミレーのハイブリッドというのも良いなと思いましたが廃盤のようです。

 

体重を落としてがんばるぞ!

 

植物

植物は正確で良い。

種が土に埋められて、適度な日光や水分や気温があれば種皮をひとりでに破って発芽してめくめくと育つ。日光や水分や気温やその他植物を取り巻く環境がそれ自身に合わなければ上手く育たない。それだけのこと。自然の物の、そういう機械的な面に惹かれる。植物の生命力だとか不思議を知るよりも。

人間も植物みたいに正確になればいいのに。休息が足りないなら労働は出来ない。睡眠が足りないなら活動は出来ない。好きならば好き、嫌いならば嫌い。それだけのこと。って。柔軟性は人間の強さなのか弱さなのか分からないね。

でも人体は奇跡みたいな正確さがあるから良いと思います。アポトーシスを知った時にはドキドキした。設計者は居ないのに、ちゃんとプログラミングされてるの?何て格好良い。

 

春の寒さが終わった辺りから花と野菜を少し育てていて(枯らす天才の割には頑張っている)、その中で思ったこと等でした。ホームセンターで心細そうにしていた野菜の苗を、用意したプランターに植えると根を張ってどんどん伸びてくれて嬉しかった。わんちゃんみたい。ペットショップで運命的に出会って家に連れて帰ると、最初は不安そうにしていたのが段々懐いてくれた感じ。(経験はなし)

花は種から。種売り場は用がなくても良く見てしまうくらい心が躍る!あの堅い種皮を破って淡々と出てくる芽たちには愛しさしか感じない。出来ることなら定点カメラになって一日中成長を見ていたいと思った。

何にせよ植物は良い。

前野健太の新宿馬房日記@吉祥寺MANDA-LA2 2016/06/09

前野健太さんのライブは仕事終わりに見に行くのが何だかぴったりで好きなんだけど、早めに上がりたいと言っていたら休みを頂いたので余裕を持って開場ちょうど頃にマンダラ2に到着した。既にびっしりの列、チケットも完売御礼。先日のテレビ出演の効果?

 

開演ちょうど頃、サングラスにド派手なシャツ(白地にイカリやロープが描かれている、マリンルックというのか??)で一度登場してすぐに引っ込み、「やっぱこっちだね」とサングラスを普通の眼鏡に変更。ティアドロップ型?十条の眼鏡屋で購入したものでフレームの大きさが自慢らしい。マイルス・デイビスもこんな眼鏡、掛けてませんでした?と。後半に掛けては眼鏡すら外して裸眼で歌っていた。サングラス姿の前野さんを最近あまり見ていないかも。

 

ライブの幕開けを飾った曲は『オレらは肉の歩く朝』。え。仕事に行くのがしんどい時、ここ最近いつも聴いていた曲だ。ライブではあんまり聴くことがない曲だからこそ、このタイミングで聴きたかった曲。嬉しい。一曲目が何の曲かというのはお客さんにとっても前野さんにとってもきっと重要なことなんだと思うけど、この日の自分にとって何か物凄く特別な意味があるように感じてしまった。ご褒美みたいだ。この曲を聴いて仕事頑張りました!!

 

この日のライブでは度々、先日のBS朝日『日本の名曲  人生、歌がある』へ出演した話をしていた。前々からライブでは演歌のカバーなどをすることがあったし、「花のように鳥のように」は音源としてもちゃんと出ているけど、今回の件で演歌方面への意識も更に強くなったようで「演歌界のアイドルが山内惠介なら自分は地下アイドルだ」と言ってみたり、五木ひろしさんと2マンがしてみたいと言ってみたり。番組内で“スーパーエンカ”という新しいジャンルの第一人者(?)とされたことが、彼のハートをこんなに燃やしているらしかった。でも前野さんが言うと全部本当になってしまうような気がするし、聞いている方も笑いながらも冗談だと思っていない節があると思う。「今日は〝ロックの日〟ですけど、私はどんどんロックから遠ざかって行きますんで」と、ロックとも決別の宣言。

演歌より更に先(?)、民謡へも意欲的で、三橋美智也さんの「相馬盆唄」という民謡のカバーもしていた。民謡ハイになった前野さん、「民謡ってラリってますよね?ボブ・ディランなんかも対バンとかしたらびっくりしちゃうと思う」と言いながら、『ジャングルのともだち』の冒頭を民謡アレンジで。そしてもう一度仕切り直して歌った『ジャングルのともだち』が、この日のライブで一番ゾクゾクとした。

ライブハウスを飛び出して全く別の空間へトリップしてしまいそうだった。足の床との接地面がぼんやりとして、宇宙空間に放り出されてしまったかのような、自分が今どこに居るのか分からなくなってしまう不思議な感覚。そしてぼんやりとでも確かに聞こえてくるドラムやベース、あらゆるバックバンドの楽器の音。CDで聴いているだけでは平面としてしか伝わって来なかったこの曲が一気に奥行きを持って、立体の物として体感できた瞬間。ライブの醍醐味はまさにこれだなぁと思う。CDとは全く違ったその曲の一面を見つける。CDとは全く違った文脈が生まれる。そしてそれをまた脳内補完してCDで聴く。初めてその曲との距離が縮まる至福の瞬間。

『ジャングルのともだち』はよく歌詞の意味がわからないと言われる事が多いと前置きをして、「日本って亜熱帯みたいなところがあるじゃないですか。だから、雨が降っても傘ささないで、濡れちゃっても良いじゃん、みたいな曲です。」と曲の解説。「ま、誰にも伝わってないでしょうけどね!いんですよ、それで!」と。日本の大半は気候の区分でいうと温帯湿潤気候という気候みたいだけれど、“亜熱帯”はその区分とはまた別物なので、日本も亜熱帯だという事も出来るらしい。ゲリラ豪雨とか、ムシっとした夏の雨に遭うと凄く納得出来る気がする。

 

もし自分が勤めるとしたら、グンゼギンビスドトールが良いと言っていた。3大好きな会社だって。

 

ライブの題名の「前野健太の新宿馬房日記」。大島渚監督の『新宿泥棒日記』が前野さんはあまり好きではなくて、そこから取ったとのこと。馬房、というのは、新宿にある彼のマンションの一室に馬房のように狭い空間があって、そのことを指しているとか。「競走馬は成績が悪ければ肉にされてしまうのに、人間は食っちゃ寝・食っちゃ寝…恵まれ過ぎてますよね。次のアルバムのタイトル、『人間は恵まれ過ぎている』にしようかな。『オレらは肉の歩く朝』、『今の時代がいちばんいいよ』、『人間は恵まれ過ぎている』って、何かもう、凄いですよね(笑)」と次のアルバムについても触れる。ライブでも新曲が次々と出てくることからも分かるように新曲はかなり溜まっている様で、次は収録する曲を厳選していく作業だと言っていた。というか前のライブでもそういう話で、しばらくライブは無いと思うというようなことを言っていたけど実際は月1くらいのペースでライブが続いているし、今後も8月、9月にもバンド編成でのライブを予定しているとのことだった。ライブがあることもアルバムが出ることもどちらも嬉しい事だから良いんだけど!

 

『 春の夜の夢のごとし』、『天草マンボブギ』と競馬関連の歌で盛り上がり、『レモンハート』や『小町通り22時』などの物凄く渋い新曲や、ライブで演奏するごとに深みが増してゆく『人生って』、曲名通りロマンティックに歌い上げる『ロマンティックにいかせて』(ギターに、音を立ててキスしていた!)などを次々に演奏して、気が付けば早くもアンコール。

 

ちなみに今回のリクエスト大会では、あんまり気分ではない曲や前野さん自身のではない曲がリクエストされたからなのか、華麗に流されたりワンフレーズを軽く歌って終わりのことが多かったです。リクエストされる曲数自体少なめ。その中で『マル・マル・モリ・モリ!』を1フレーズだけカバーしてたんですけど、前野さんが歌うと本当になんでも“泣き”が全開の曲になってしまうから、凄いな、と感動してしまった。それにしても懐かしい曲!

 

アンコールでの早着替えもお決まりになって、若草色とピンクと白のキュートなシャツに着替えた前野さん。リクエストのあった『今の時代がいちばんいいよ』など数曲を歌うと再び例の演歌番組に触れて、また出演がしたいので番組に前野さんについての感想メールを送って欲しいとまさにアイドルみたいに必死にお願いをしていた。また、その流れでゆくゆくは紅白にも出演したいので、youtueに上げられた下ネタな曲とかは消しといて下さい。と言ってからの「これ(アコギに付けられたピックアップのシールド的なもの?)抜きますね?あ、抜くってそっちじゃないですよ」⇨「♪失楽園で抜いてた〜」の、完璧な流れに爆笑の会場。

再び、「聞き逃した曲とか本当にないですか?」とリクエストを募るとLOVE、鴨川、マン・ションなど、出てくる出てくる!自分はというと、言いたい曲があったものの声を上げられず。

ちなみにLOVEは歌われなかったんだけどその理由が「『♪愛なんて〜』も『♪おっさんの愛はなんだった』も同じようなもんですからね!」っていうことで鴨川に集約されたのだった。そんなこと言ったら、ほとんどの曲は同じようなものだと思います。(笑)

 

『100年後』『鴨川』と名曲が続き、ライブも終わりかと思えたところで、「最後の曲はピアノで」と前野さんはステージ上に戻ってきた。(アンコール中、一曲歌うごとに客席の奥の方へと進んでいき最終的にほぼ後ろの辺りまで進んでいたのだ、)

 

わたしはわたしの事  分かっているつもり

わたしはわたしの事  本当はよく知らない

だからあなたにときめいたら迷わずにゆくの

わたしを感じたい  生きているわたし

あなたを感じたい  生きているわたし

わたしを感じたい  生きているわたし

あなたでしか感じることができない

生きているわたし

 

 

最後の最後、ピアノで歌われた曲は『生きている私』だった。ずっとリクエストがしたくて、でも出来なかった曲。その曲が聴けるなんて。

『オレは肉の歩く朝』に始まって『生きている私』で終わったこのライブ。私の気持ちが届いたかのような気がして、勝手に胸がいっぱいになっていたのでした。

 

(そういえばシネマヴェーラ渋谷にて、『ライブテープ』の上映をしていました。残るは6/15(水)と6/17(金)の2回。ちびまるこちゃんとの2本立て!スクリーンであの奇跡を改めて。)

 

 

◯セットリスト

オレらは肉の歩く朝
あなたの匂いを覚えてしまったから
伊豆の踊子
春の恋(新曲)
花のように鳥のように(カバー)
相馬盆唄(カバー)
ジャングルのともだち
春の夜の夢のごとし
天草マンボブギ
レモンハート(新曲)
雨の合コン
野蛮なふりをして
小町通り22時(新曲)
僕のパパは共産党員だった
あんな夏
ばかみたい
ロマンティックにいかせて
人生って
ファックミー
青い部屋
防波堤(新曲)
(アンコール)
今の時代が一番いいよ
SHINJUKU AVENUE
コーヒーブルース
18の夏
東京の空
100年後
鴨川
生きている私

 

ボルダリングのこと

頻度としては低すぎてあんまり自慢できる感じじゃないけど、ボルダリング4回目くらいになると脚腰を中心に使って登ることの意味やコツが何となく身体で分かってくる。毎回何かしら気が付けるので、楽しい。スラブ壁で脚だけで登る課題を沢山こなしてどんどん身に付けていきたい。身体がすぐ壁から剥がされちゃうのでバランス感覚や体幹の筋力の無さを実感して、鍛えようと思いつつ結局なんにも出来なくてジムに通うだけになっちゃうな。とりあえずめちゃくちゃな食生活と生活リズムだけでも整えていきたいね。

 
今は色んなジムに行ってみてて、自分の性に合いそうなところを探してる。大きすぎて人が多い都会のジムは怖くて行かれないということは分かった。
 
あとまだまだマイシューズは買わないと決めてるんですが、でもはやる気持ちだけは抑えられなくて、インタネットで色々調べてます。
ジムの人にシューズのサイズについて聞くととにかく小さめ、とか、どれくらいまで小さければ良いのか聞くと小さければ小さいほど良いと言われ、でも爪や足先が痛くて長時間登れなくなってきたり毎回毎回脱がないと痛かったり歩けなかったりすると、初心者はまだそんなタイトに履かなくても良いんじゃないかと思っていたんですが。インターネットで調べてみると、とにかく最初のうちは痛くないサイズでいきましょうということがとにかくよく書かれている!シューズの痛さもあって続かない人もいるとかいないとか…。
今ちょっといいな、と思ってるのは
 
スリッパタイプをこの前初めて履いてみたらフィット感があるしベリベリする面倒臭さが無くていいなと思ったけど、その分自分の好みのキツさに出来ないわけだし伸びてきたらどうしようもできないのでやっぱりベルクロタイプに落ち着きそう。
 
ミーハー女、頑張ります
 

雨は雨でなくなって

ここ一年くらいは、波はありつつ、本当に前野健太さんの音楽ばかりを聴いている。
 
『鴨川』という曲。何て素晴らしいのか。


前野健太  鴨川 from 2nd album 「さみしいだけ」

 
前野健太さんといえば代表的な曲は、この『鴨川』や『友達じゃがまんできない』、『東京の空』辺りなのかなと思っていて、それだけじゃなく他にもよい曲が山ほどあるよ、というか良くない曲なんてない、という半ば狂信的なフアンなのだけど、それでもやはり鴨川は素晴らしい。自分の人生にテーマソングを一曲選ぶとしたらこれだと思っている。
MVで踊るこの女性が元セクシー女優さんというところもいい。そしてもっと良いのはこれを撮影した当時はまだ現役のセクシー女優さんで、多分今の自分の年齢と同じくらいというところであり、それから年月が経ってセクシー女優さんを引退して俳優・タレントさんとして活動し、そしてその後芸能活動自体も引退しているというところだ。
雨が川になりやがて海に変化する様を人間の変化になぞらえて描かれた鴨川の歌詞と、長澤つぐみさんの歩んでいった人生が交差して、この曲が何倍にも情感あふれるものになっている。彼女は今どうしているんだろう。ひとつの雨粒として、「長澤つぐみ」として、顔と名前を多くの人に知られ活動をしていた彼女も、今では大きな海の水の一滴となって、社会に溶け込んで穏やかに暮らしているといいなと勝手に思う。
 
セクシー女優、と言う職業に対する世間の捉え方も何だか昔とは変わっているような気がしている。昔はどちらかというと消極的な選択としての職業だと見られていたものが、近年では“積極的な選択”、“強固な意志”、“自信”、“決断”、“誇り”といった前向きなワードで取り巻かれているように思う。特に、自分と同じくらいの年齢の女優さん…湊莉玖さんや上原亜衣さん、松岡ちなさん、市川まさみさん、紗倉まなさんなんかが最盛期で活躍をしていたり引退などの転機を迎えていたりすると、感慨深いというか、本当に色んな苦労や苦悩があったのだろうなとしみじみとしてしまうし、性の対象にされる、女性としての性(さが)を前向きに取って体当たりに強く進む彼女たちを見ているといつも尊敬の念が湧いてくるのだ。ニンフォマニアックを観たときに得た感情に少し近いかも知れない。
 
前野さんに話を戻すと、先日彼がTV出演したときの『花のように鳥のように』の映像が奇跡的にアップされていた。一番を歌い終えて立ち上がり、椅子を蹴ってマイクの位置をぐっと変えるところが素晴らしく格好良くて、録画したものを何度も見ちゃう。ミュージックステーション紅白歌合戦ではなくて、演歌の番組に出演するところが良いし、彼に出演の話を持ち掛けた人は誰なんだろうと凄い気になる。
何を歌っても、〝前野健太の曲〟になる。自分も時々お遊びで好きな曲をカバーしてみたりすることがあるけれど、当たり前だけれど本当にただの「真似っこ」にしかならなくて、元の曲の素晴らしさがあって何とか成り立っている。でも前野さんが歌うと本当に何でも、モー娘。でも大江千里でもAKBでも細川たかしでも、前野健太の曲になってしまう。元の曲を知らなければカバーだとも気が付かないと思う。
以前ライブで歌ってくれた、ちあきなおみさんの『冬隣』がそれはそれは良かったので(女言葉や女の人の歌が前野さんにはよく似合うのだ)、演歌や歌謡曲のカバー集を是非とも出して頂きたいな。お願いしなくても出してくれそうな気配はするけれど。そして新しいアルバムもそろそろかなと、期待しているところ。
 
京都へは幾度が行ったことがあるけど鴨川は行ったことがないので行ってみたい。ゆっくりと散歩とかしたい。京都に限らず、観光地をセカセカと回って疲れる旅行じゃなく、違う土地で日常を送りたいみたいな気持ちがここのところ強いです。
 
 

惰性

昔、とある集まりで、どうして長年この集まりに来ているのかと聞かれて「惰性の中の一瞬の楽しみや喜びに出会うため」と答えた人がいた。その人がただ楽しくて仕方なくてその集まりに来ているものと思っていたから、「惰性」というあまりポジティブではない言葉が出てきたことに驚いて、結構はっきりと言うのねと捉えてたように思う。


改めて文にすると「惰性の中の一瞬の楽しみや喜びに出会う」って気障な言葉に感じるけれど、惰性の中に喜びや楽しみを見つけ出す行為ってもう人生そのものだな、と思ったら急にこの言葉が淡々としながらも熱い意味を持った言葉に思えてきて(言った本人も淡々としながらも熱いものを持った人だった)、ここ数日何回もこの言葉を思い出しては気持ちを前に向けていた。
 
人生は惰性で進んでいくものだと割り切って生きていきたいし、惰性で生きてしまっていてもそんな人生でも肯定されたいし。生きるのは惰性だと割り切ってしまった中でそこから喜びや楽しみを見つけていこうというのは、飛び切り前向きな生き方だと私は思うのでした。根暗なりの前向きな生き方、っていうのがあってもいいよね。とか思ったりしました。
 
(ひとつの言葉から勝手にどんどん解釈を飛躍させて自分に有利な意味を持たせちゃうのよくやってしまうけど、言葉は自分が思いたいように思えばいいし物事は自分が捉えたいように捉えればいい、感じたいように感じて生きていけばいいよ、と思う。考え過ぎない!)

最近特に失敗や間違いをしたくないという思いが強すぎて身動きが取れなくなる。失敗したくないのは人との関わりでもそう。言うべきことを間違えたくないし、距離感を見誤りたくない。常に正しく、良く思われたいし、自分の失敗や間違いは人に知られたくない。でもそうやって自分に見合わない完璧を追い求めるほど辛くなるのは自分であり、自分一人で自分を追い詰めて勝手に辛くなってしまう。

 
全か無か、白か黒か‥‥オールオアナッシングな思考の癖も、とどまるところを知らない承認欲求も、複雑に捻れた過剰な自意識も、年齢を重ねれば自然と無くなっていくものだと期待していたけれどどうやらそうでもない様子で。それは時に絶望的な気分にもさせるけれど、一方でそういう、自分の欠点との折り合いの
付け方も10代の頃よりは少しは上達していると思える時もある。
 
自分の欠点や劣る点をより良くしていこうとするのは生きていく上で大切なことだと思うけれど、そうするにしてもその欠点を持っている自分というのをきちんと受け止めて肯定して消化することの方が先決なのだと気付き始めた。
 
見た目も性格も可愛くないし、優しくもないし、表も裏もあるし、分け隔てなく接するなんて出来ないし、気は利かないし、覚えも要領も悪いし、知識も経験も薄っぺらいし、努力家でもないし、生活力もお金も人脈もセンスも計画性も協調性も行動力も体力も社交性も文才もないけど、クズだけど、でも何とか生きてます私!
 
 

TVドラマ

TV番組をほとんど見ない人間だったけど、録画したものを色んな媒体に飛ばして見られる機器を手に入れてからちょこちょこ観ている。TVの前に一定時間拘束されることが何となく苦痛だったので、これなら良い。

今ダントツで面白いドラマは『その「おこだわり」、私にもくれよ‼︎』。清野とおるさんの漫画が原作(正確には〝題材にした〟)の、モキュメンタリードラマ。何と監督は松江哲明氏。そして録音・山本タカアキ氏ということで密かに前野健太さんの出演があるのではと期待しております。何せご本人が、近いうちに〝面白い〟番組に出ると、ライブでほのめかしてたので…。
このドラマ、出てくる曲といい出演者といいかなり、年齢やや高めのサブカル層を意識していると思う。話題になっていたけど観ていなかった『山田孝之東京都北区赤羽』も観始めた。原作もちゃんと読みたい。

何となく苦手意識のある〝クドカン〟さんの『ゆとりですがなにか』も観ている。1話で思い切り心を掴まれて今後への期待値を上げ過ぎてしまい、2話目にて既に飽きが来たけれど一度観始めたものは一応最後まで観るタイプだから見続けています。柳楽優弥さん、人生二度目の全盛期という感じですね!危うい感じが山田孝之っぽい。

あともうひとつは『重版出来!』。こちらも原作は未読。ここ最近は黒木華さんになりたくて仕方がない。誰でも取って代れそうでいて、誰にも出来ない。今までにいたようでいて、全く新しい。こういうタイプの女優さんって近年稀に見る、といった感じなのでは…。特に、『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観てからこれを観るとより一層それを確信してしまうと思う。何なんだ彼女は。見るたびに「参りました完敗です。」とひれ伏しそうになる。(何の勝負なのか)
ところで、坂口健太郎氏には永遠に静止画界に留まっていて欲しかったと思う女子も少なくないのでは…?なんて勝手に思っているけどどうなのか。
漫画が原作だからか観ていてややシラけてしまう演出もあるけど、乗ろうと思えば乗れる範囲なので、そこは自分次第という感じで。まあでも、黒木華みたいなできた女の子、居ないでしょう…。(笑)

ドラマには、現実逃避を求め一方で現実味を求め。相反する二つのようで、どちらも不思議と満たされてしまうので、ドラマって不思議だと昔からよく思う。