可哀想なkindle

新しいあずき色のめがねを作って、まんが本を1冊と文庫本を1冊買った日。

 

小学生の頃は読書が大好きだったのに、今となっては本当に本を読まなくなってしまった。1年に果たして2冊3冊読んだだろうか、と言うぐらいの少なさだし、読むとしてもエッセイなどの気楽に読める本がほとんど。

 

語彙の少なさや表現の浅さ、言葉の深みの無さに、読書量の少なさが表れているんだろうなと思うと恥ずかしい。原因はもちろんそれだけに限らないんだけど。。

 

読書をしない言い訳としては、ジャンルが幅広い、時代も幅広い、短編だったり長編だったり長さは不規則、文字の大きさもフォントも色々、“ながら”がほとんど利かない、文体も様々、つまるところ自分なりの向き合い方が分からない、掴めないといった感じ。

 

例えばCDなら、「この人のCDは出たら必ず買う」「この人のCDは借りればいい」+「評判が良さそうだから買ってみる」「知らない人だけれど視聴したら良かったから買ってみる」といった具合に自分の中でリズムと言うのか、きちんと向き合い方が固まっているから接しやすい。映画も概ねおんなじ。

 

映画・音楽は、観る・聴くにあたっての拘束時間がきっちり決まっているから接しやすいし、観・聴き終われば形だけでもその作品を“消化”できる、それに、ひとつ好きな作品があればそれに付随した作品を楽しむという発展もし易い。あと、灯りがなくても鑑賞できる。

 

という訳で読書するにあたってのストレスが少しでも少なくなれば読書量も増えるのではとkindleを購入するも、“本も形あるものとして手元に置きたい”、“紙のページを手でめくりたい”という思いがここへ来て沸々と湧いて来たためほとんど使われることはなく、現在ただの板と化しています。可哀想に。

デジタル人間な方だからkindleはハマるはず、という直感があったんだけれどだめだった。

 

誰か買い取って

 

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