惰性

昔、とある集まりで、どうして長年この集まりに来ているのかと聞かれて「惰性の中の一瞬の楽しみや喜びに出会うため」と答えた人がいた。その人がただ楽しくて仕方なくてその集まりに来ているものと思っていたから、「惰性」というあまりポジティブではない言葉が出てきたことに驚いて、結構はっきりと言うのねと捉えてたように思う。


改めて文にすると「惰性の中の一瞬の楽しみや喜びに出会う」って気障な言葉に感じるけれど、惰性の中に喜びや楽しみを見つけ出す行為ってもう人生そのものだな、と思ったら急にこの言葉が淡々としながらも熱い意味を持った言葉に思えてきて(言った本人も淡々としながらも熱いものを持った人だった)、ここ数日何回もこの言葉を思い出しては気持ちを前に向けていた。
 
人生は惰性で進んでいくものだと割り切って生きていきたいし、惰性で生きてしまっていてもそんな人生でも肯定されたいし。生きるのは惰性だと割り切ってしまった中でそこから喜びや楽しみを見つけていこうというのは、飛び切り前向きな生き方だと私は思うのでした。根暗なりの前向きな生き方、っていうのがあってもいいよね。とか思ったりしました。
 
(ひとつの言葉から勝手にどんどん解釈を飛躍させて自分に有利な意味を持たせちゃうのよくやってしまうけど、言葉は自分が思いたいように思えばいいし物事は自分が捉えたいように捉えればいい、感じたいように感じて生きていけばいいよ、と思う。考え過ぎない!)